某事件関係者記録帳

ここはどこか異質な空間。

中央の机に置かれた小さな1本の蝋燭の先に橙色の火がともっていた。
部屋の隅には明かりも届かない。絵の具で塗りつぶしたかのような深い黒が潜んでいた。
壁だと思って触れた部屋の側面にあったのは、幾多の本が詰まっている本棚だった。
埃の匂いが充満したここは、一言で表すならば書斎というものに似ていた。

一歩踏み出すと石敷きの床であるはずなのに無数の紙が足に纏わりついた。
拾い上げてみたら、それは活字が窮屈そうに並ぶ、ありとあらゆる情報が書き込まれたあの灰色の紙だった。
足元だけではない。床のほとんどがそれらで埋め尽くされていた。――だいぶ散らかっていた。
ようやく私の訪問に気づいたのか、机の奥にある椅子が緩慢な動作で回った。どうやら回転椅子だったらしい。
暗がりのなかに人間の上半身が浮かび上がった。

そう、書斎などという場所にはあまり似つかわしくないのだ、この人は。

この空間を異質にしている要因はこの人の存在自体にあるのかもしれない。
こんなところにまでわざわざ足を運んだのは他でもない、この人に用があって来た。

「君ならツッコんでくれると思っていたのに」
私が口を開くより先に聞こえてきた声は心底残念そうなものだった。
「何がです」
「ばらまいておいたんじゃないか、新聞」
「はあ」
てっきり片づけられない人なのかと思っていた。
「どうせあなたは4コマ漫画の欄しか見ていないんでしょう」
屈んで何枚かを手に取った。一度気になってしまうと綺麗好きの血が騒いでしまう。
「失敬な。ちゃんと他の項目にも目を通しているよ」
その人は子どもみたいに口を尖らせた。……今でも子どものようなものか。心のなかでそっと小馬鹿にしてみた。
「素晴らしいよね、新聞って。知らない出来事をこと細かに教えてくれる」
広大な宇宙に思いを馳せるかのように両腕を広げて虚空を仰ぐポーズをとった。
しぐさがあまりにも子どもっぽかっただけに、もしかしたら馬鹿にされているのは自分のほうなのかもしれない、という考えが浮かんだ。
「そう、ですね」
知らずと手に余分な力が入っていたようで、しわだらけの灰色の紙がさらにくしゃくしゃになった。
「この紙は、私とは無関係の死人の名前まで教えてくれる」
はからずも私は顔を背けていた。すると、その人は鈍色の光沢を放つ万年筆の先を向けてきた。
「そういう君は殺害事件の欄しか見ていないんだろう」
万年筆の先端が下を向いた。うつむいたのは筆先だけで、その人はまっすぐ私の顔を見据えていた。そして静かに口元を歪めた。
そんなに面白いことでも言っただろうか。
ほら、と突然投げつけられた新聞紙の束。とっさのことに反応が遅れ、受け取り損なって顔面に命中した。

「これだろう。君が気になっていた事件とは」

その言葉に一瞬固まったあと、紙面を凝視した。
「残念ながら事件の詳細は知らないよ。そこに書かれていることが真実。ただそれだけだ」
紙面の端には過去の日付が刻まれていた。もう戻らない、巻き戻すことのできない過去の日付が。
「君がどうしてこの事件のことを知りたいのかはよく分からないけれど、お望みとあらば集めないわけにはいかないからね」
その人は引き出しからスクラップブックを取り出して開いた。
貼りつけられた記事の大きさが重大な事件として取り扱われていないということを物語っていた。
「その紙面とこの切抜き、君が欲しいと言っていた2つの事件の全容だ」

死亡者9名。行方不明者3名。当事者および友人や親族などの、事件と関係があるとされる者5名。計17名。

大人数が犠牲になろうが、誰かにとって大切な人が死のうが、まったく関係のない人々に伝えるだけの文になってしまえばこんなものなのだ。
どこにぶつけたらいいのか分からない感情が渦巻いた。唇を強く噛んでどうにかそれを嚥下しようと試みた。
だが、血の味が口内に広がるだけだった。
「僕はこの17人がどんな人間だったのか、ということだけならよく知っている」
私の想いを知ってか知らずか、先ほどよりも優しげにその人の声が部屋に響いた。

「新聞にも載らない、誰にも知られない死だってこの世にはある。
そこまでは僕だって知らないさ。
けれど、せめて君が興味をもってくれた過去ぐらいは。
……未来永劫語り継がれないであろうその人達が生きた事実ぐらいは、 君に知っておいてもらいたいと思う。
代わりに筆をとることで死人も息を吹き返すのなら、何編だって書こう。
拙い言葉でも彼らの手向けとなるのなら」

目からなにかが零れ落ちていた。手で頬に触れてやっとそのことに気づいた。
机に置かれた分厚いノートに透明なインクが染み込んだ。
その人は、まだなにも書かれていないふやけた紙に万年筆を走らせた。



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格好つけた前置きですが(笑)、ここではオリキャラの過去話(日常風景的なもの)を書いていく予定です。
要するに番外編です。本編は機会と時間があったら少しずつ書いていきたいな、と思っています。
ここで出てくるオリキャラたちの詳細はイラストのほうに置いてありますのでよろしければ。(あまり更新していませんが笑)
思いついた順に話を書いていきますが、時系列順に整列しなおすかもしれません。

※ここで使われている画像素材は全て『空に咲く花』のなつる様よりお借りしています。
11/03/09
(13/12/27加筆修正)